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なんかやってそうで


その実なんもやってない


基本結論無し


たまに司会者逆切れ


そうですね出演者の名前は売れますよ
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例の事件を受けて


230~240円だった株価が一気に下がるも


連日の不二家製品がいかに悪いかのテレビの粗探しは


何処吹く風といった感じに190円代で推移し始め


その後210円まで株価は上昇


マスコミだけから情報を得て


上っ面だけで理解したような気分になってたけれど


株価上げたり下げたりして生きている


経済の最先端にいる人間はよくよく質実剛健だなぁと思った
コラーゲンコラーゲンいうてますけど


やっぱり顔ですから
何回もやりつつ


その都度後悔する


一日を超無駄に過すという行為


すまんのぅ


君という一日を無駄にしてしまった事を


俺は胸に刻んで生きてゆく


とりあえず本当に


ゴメンね


そして


美味んぼのドラマで


究極の鍋料理と至高の鍋料理で競い合ってる時に


冷凍うどん食いながら見てた昨日にもゴメンね
相撲の決まり手で


土俵際に追い詰められてから


相手と体を入れ替えて倒れこむ逆転技として


「うっちゃり」ってのがある


昨日相撲を見てたら件のうっちゃりで勝った力士がいて


実況担当が思わず「うっちゃったー」って声を発しいてた


この時思ったんだが


「走る→走っ・た」「食べる→食べ・た」


の様に動詞は修飾されるわけで


うっちゃりが動詞だとするならば


「うっちゃり→うっちゃ・ったー」


となるのは分る


しかしだとすると


「うっちゃり」の『り』の部分の存在意義が怪しくなる


元々の言葉自体「うっちゃり」ではなく「うっちゃる」でいいんじゃないか?みたいな


またコレが名詞だとするならば


なんで「うっちゃりしたー」と発声しなかったのだろうか?


ううむ


謎は深まるばかりであるが


一番の謎はなんでこんなの書いてるかってことか
漫画学科通ってて路上で刺殺された少年


彼の描いてる漫画が萌え漫画とかエロ漫画だったら


この事件の見方も大分変わったであろうて
書いてあった場所は詳しく覚えてないのだけれど


「それは猫に鰹節の番をさせるようなものだ」


というめっさ引っ掛かる一文があった


まずヒトラーがコレを書いてる時に(忠実な後述筆記がなされたとして)


ドイツに鰹節というものが存在していたのかというのが気にかかる


当時のドイツに鰹節があったのならばそこでこの話は終了するのだが


まぁ間違いなくなかったであろうと思われる


なぜなら「猫は鰹節が好物」という認識は


そもそも「猫は魚が好物」という認識に基づいているものであり


この認識自体は獣の肉を食べる習慣が無かった日本人が


猫に対して身近な動物性タンパク質として魚を与えたのが始まりであり


まったくもって世界的な認識ではない


その証拠に海外では魚のキャットフードというのはほとんど見られない


要するにこの表現は訳者が


本来はドイツでありふれた認識から生まれた慣用句であったものを


日本人に理解させ易くするためにこの文章に変えた疑いが高い


ならばその文章とはいったいなんだったのだろうか・・・


それを考えると夜は6時間くらいしか眠れん


というか


このパターンだとアメリカで出版された英語版の我が闘争の問題の一文は


「それはボブにハンバーガーの番をさせるようなものだ」


になってるんじゃなかろうか







まぁ


「それはマイケルにコークの番をさせるようなものだ」


でも可
人は何故こぞって争うのだろうか


「俺こんなに寝なかったぜ」


「俺こんなに断食したことあるぜ」


「俺こんなに痛い思いをしたことあるぜ」


実にくだらない・・・


これを競うことに何の意味があるのか?なんの価値があるのか?


誰も答えることはできない


でもやはり人はまるで定められたかのように争い合うのだ


この世から全ての争いが無くなればいいのになぁ
様々な事があった2006年


今その2006年を振り返ると


思えば色んな事がありました


世界は相変わらず血を血で洗い


政治家達はお決まりの汚職と不祥事


ネジが緩んでるヤツは身近な人間を手にかけ


誰もが見通しの効かない将来を悲観する


そんな2006年でした


さりとて悪い事ばかりではない


ちゃんといい事だってあった訳で


まぁその中でも最も良かった2006年の最大の収穫は


ハッピーターンに振りかけてある


あの甘酸っぱい粉の名前が


「ハッピーパウダー」であることを知った事かなぁ
ひとたび読めば続きが気になる


気になるからといって読み進めてゆくと物語が終わる


その後に訪れる喪失感が大嫌いだ


その物語が面白ければ面白いほど


読み終わって現実に戻った時のギャップが大きい


平凡な人生を歩んでいることをまざまざと見せ付けられるようで


俺にとってはコレが死ぬほど怖い


物語に負けないほどドラマチックな人生を歩んでいる人間と


読了後に訪れる喪失感を感じない人間を除くと


これを解決する方法は2つ


一つは物語を読み終わったらまた別の物語を読んでいく方法


言い換えれば悲しい事に目を瞑り楽しい事だけ見ていく方法


そしてもう一つは最初から物語を読まない方法


言い換えれば最初からリスクを負わない方法








俺は完全に後者
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